2023-01-22 [News] ボノボは「身内」より「よそ者」に優しくするよう進化している ---むむ?!

食事、コンピューター、インドネシアについてのひとり言。 ときどき人類学なども。

[2023-01-22] [Nazology]
この事実、一見、血縁淘汰 (kin selection) 説への 反例に見えるのでとても面白い。

まず、「血縁淘汰」を説明しておこう。 「血縁淘汰」の考え方は、 群(「群淘汰」)や、個体を基本にするのではなく、 遺伝子を基本にするものの見方(「ジコチューな遺伝子」)である。

猿の群などで、 見張りにたった個体は敵を見つけると群全体に警告を発する。 問題は、 この警告を発することによりその個体は自分自身を 危険な状況に置くことになる、という点である。 このような行為を進化論 (そのひとつの前提として、 個体は生きようとするという事がある) の中でどのように説明するかが大問題だったのである。

たとえば群淘汰 (group selection) 説では、 群を単位にして考える事によって、この謎を解明しようとする。 このような自己犠牲をともなう警告は、群淘汰説はいう、 たしかに1つの個体の生存をあやうくするが、 群全体の生存の格率を高めるのだ、と。 これはこれで、「なるほど」と思わせる説明だと思う。 しかし、難点もあるのだ。

群淘汰が成り立つためには、 各個体がある種の「見通し」をもっていることが前提とならざるを得ない。 このような前提は 進化論の目指すある種(確率論敵な)機械論とは なじまない考え方だろう。

「血縁淘汰」説はこの謎を、よりすっきりと説明する。 焦点を群ではなく、遺伝子(かなり抽象的なモノである)に置こうというのが、 その主旨だ。 血縁者(たいていの場合、「近くにいる者」と同義である)を守るのは、 遺伝子を守ることなのだ。 主人公の遺伝子を X としよう。 X は 〈自分の乗りものである個体よりは、 血縁者を守るような行動をとる〉を表現型としてもつ。 群の中には多くの血縁者がいるので、 それらの個体は X をもっている確率がたかい。 確率が 1/4 ならば、自分を助けるよりは血縁者を5人たすけた方が、 X が次世代へと伝達される確率が高くなるのである。 それゆえ、X は(たとえば〈自分を守る〉を表現型としてもつ 遺伝子 Y より)生き残っていく、 すなわち、淘汰されて残っていくのである。

利己的な遺伝子論は、しばしば、「バブリー」に響くので、 ちょっと恥ずかしいのだが、 それでも、 この血縁淘汰説は、 進化論の中でもきわだって美しい理論だと思う。

さて、さて・・・記事にもどろう。 ボノボは「身内」より「よそ者」と仲良くなるというのだ。 血縁淘汰説ではまったく説明できない。

学者たちはどういう風に反応しているのかな、と 興味深く読み進めた。

ちょっと拍子抜け・・・

この記事での説明では、 ボノボの住む環境が豊かだというのが よそものに優しい原因であるという。 すごく簡単に 「環境がいいと、よそ者にやさしくする行動をとる」というわけだ。 ・・・けっきょく、何でも説明できちゃいそうだ。 グールドとともに、「適応万能主義者は・・・」と文句もいいたくなる。 彼らには、いつでもどこでも何らかの http://www.merapano.net/phil-web/just_so_stories.html が用意されているんだ・・・と。