食事、コンピューター、インドネシアについてのひとり言。 ときどき人類学なども。
[2023-03-04] 『アフリカの冒険的現代』でぼんやりと考えたこと —あ・おもしろかった
ひさしぶりに楽しいテーマの人類学のカンファレンスに参加した。 関西外大の近藤さんが主催した(たぶん)カンファレンス, 『アフリカの冒険的現代』だ。
ここに書くのは感想以前のもの、 発表をききながらぼんやりと考えていたことだ。 たいした話ではないのだが、 ひさしぶりに楽しい話をきかせてもらえたお礼として 整理しておこう。
さて、話のとっかかりはどっかで読んだことがある (教科書かしらん)一般論だ。 いわゆる「伝統的な」文化では、 文化の中心である威信経済 (アフリカじゃないけど、有名なところではクラなんか)は 男が握っている。 男たちは互いに威信を競いあい、 肩で風を来って村の中を歩くのだ。 さて・・・ そんな村に市場経済がはいると、 ぶいぶい言わせている男たちは言う — 「そんなどうでもいいことは『女子供』のやることだ」と。 んで、女性が市場経済活動を担うこととなる。 というわけで暫くすると(市場経済的な視線から言えば) 女性の経済力があがり(こんどは女たちがブイブイ言わせている)、 というわけだ。 ・・・とまぁ、こんな話を聞いたことがある。
ところが、きょうの話にでてくる商人たちは、ほとんど男性ばかりだ。 どうしてだろう?と考えた。
「あ・そうか、舞台が(人々の本拠地である村じゃなくて) 町だからなんだ」
(ぼくの調査地、東インドネシアの)エンデの人々にとって、 出稼ぎの場(ほとんどがマレーシア)は「非場所」であり、 文化果つることころとされている。 というわけで出稼ぎを理解するには(すくなくともエンデでは) 「非場所」であるマレーシアを つねに場所である故郷の村と対照させなくっちゃいけない。
「アフリカでは場所と非場所の関係はどうなんだろう?」
そう言えば・・・ カンファレンスの中で、 「町での商売の評価は、村に家を建てたことだった」という 事例が紹介されていた。 これってとてもエンデと似ている。
かくして、
構造主義者の大好きな
(私の大好きな)二項対立のオンパレードとなった —
(1) 男性:女性、(2) 威信経済:市場経済、
(3) 場所(町):非場所(村)。
これらを組合せたり、
順番を引っくり返したりして、
いろいろ議論ができそうだ (^o^)
ひさしぶりに頭をつかったので、 きょうはここまで。
閑話休題。
・・・ 「やっぱり人類学っていいですね。おもしろいですねぇ」