2024-06-25 12月の東南アジア学会のための原稿、『千の唇、百の舌 --- 無記名性の悪夢』をかきはじめた ---でだしはなかなか好調だ

食事、コンピューター、インドネシアについてのひとり言。 ときどき人類学なども。

[2024-06-25] 12月の東南アジア学会のための原稿、『千の唇、百の舌 — 無記名性の悪夢』をかきはじめた —でだしはなかなか好調だ

書き始めたばかりだが、 ここにアップしてある。

題名は『千の唇、百の舌』である — これは、エンデの言い回し wiwi riwu // rhema ngasu’ の直訳である。 エンデにおいてたいていの場合、 あなたを襲う突然の不幸は妖術 (witchcraft) のせいだと言われる。 あなたが成功したことを、 妖術師 (ata porho’) が妬み、 あなたを襲う(tau‘)のである。 今回の発表でとりあげるのは、 そのバリエーションとも言える考え方だ。 妖術の文脈では、 妖術師こそがあなたの不幸をもたらした主体である。 ところが「千の唇」シナリオの中にはっきりした主体はない。 不幸をもたらしたのは、 噂話なのだ。 まさに、「千の唇、百の舌」が不幸をもたらしたのである。

この状況は、 近年のいじめについて別役実が 『ベケットといじめ』で指摘した構造、 「無記名性の悪意」と正確に重なる。

以上を出発点にして、 物語をつむいでみたい。 1つのバージョンは 贈与の社会は理想的な社会ではないよ、という 結論にいたる話、 もう1つは、 コミュニケーションの基礎は 規約か意図かの議論に貢献するような筋である。 どっちになるかはまだわからない。