食事、コンピューター、インドネシアについてのひとり言。 ときどき人類学なども。
[2024-12-04] 「千の唇、百の舌」から冗談の議論は削除し、責任の問題に集中する —なんとかなるかも
東南アジア学会の 第106回研究大会でのぼくの発表原稿 「千の唇、百の舌」がスタックしている。
朝の散歩で、この原稿に関してのいろいろアイデアが浮かんだ。 基本的には一気にダイエットして、 議論を絞るということだ。
第一に(理論篇第3章で展開する予定だった)「冗談」の議論は 日本文化人類学会での発表(来年の6月) 「いじめの誘惑」に移動することとする。 日本文化人類学会の発表で、それ(冗談)だけを徹底的に議論したい。
そうすると、 理論篇は「無記名性」の問題だけになる。 これを「黙約から規約へ」の問題に接木すると、 とてもとても長くなる。 「黙約・規約」の問題は、 (「冗談」問題と同様に) 「いじめの誘惑」(日本文化人類学会発表)で扱うことにする。
さて「無記名性」の問題だ。 この問題は、 むしろ「責任」の問題に接木すべきだろう。 そうすることで、 これまでの defeasibility の僕の議論 (たぶん既発表の論文は 「不倫と肥満」 (中川 2017) だけだろう)と 対比させる。
責任の問題が結論部になるのかな。 ともかく、 結論部の本論にはいる前に、 お蔵入りさせた「ニーダムとホマンズとシュナイダー」議論を 復活させるべきだろう。 「これで心理主義ではない」言い訳の部分だ。 (「魔法の瞬間」への言及は削除する。)
無記名性の問題を責任とからめて書くのが結論部となるだろう。
その手前で、 「個と孤」の問題をつぎのように説明する。 鹿川くん事件のいじめの主体が「孤」であること、 それが近代の「個」と対比される。 このような書き方の中で、 多くの読者が西洋(個)対日本(孤)という図式をあたまに 描いただろう。 別役はその誘惑には負けていない。 彼の図式はむしろ、 近代(個)対ポスト近代(孤)である。 こちらの方が魅力的ではある。
わたしはこの対立は時間順に配置されるものではないと思う。 それはむしろ(どの時代、どの地方においても) 人間の頭の中にインプリメントされていると、 わたしは考える。
この議論から「不倫と肥満」の 責任の問題(まるちゃんなどなど)にもっていく。
なんとかなりそうかな。
第1章の「プッウからタウへ」の流れをもっと 洗練させる必要がある。