食事、コンピューター、インドネシアについてのひとり言。 ときどき人類学なども。
[2025-10-15] Pangloss 論文を読み終わる —とてもよく出きている論文だ;「終わっている」論文のようには思えない
The Spandrels of San Marco and the Panglossian Paradigm: A Critique of the Adaptationist Programme’ (Gould \& Lewontin 1979) を読みおわった。 ぼくがずっと思っていた疑問を、 明解に(いささか余計な衒いが多いが・・・)述べた論文だ。 以下、感想をかねた Todo と自分への設問。
Pangloss を読み終わって
なぜ「遺伝子がそれ自身を再生産することが、それにとっての 生きる目的になる」ことが、 トートロジー(問答無用の真理)になるのか、を証明せよ。
群淘汰 (group selection) 説が正しくないことを、 証明せよ。
「学習」はダーウィン主義の根本をくずしてしまうわけではないことを 証明せよ。
性淘汰の議論は (1) 淘汰と整合しないわけではない、 そして、 (2) 同語反復になっているわけではない — ことを証明せよ。
以上、Pangloss 論文とはとくに関係ない。 これまで僕が進化論に関して理解していないこと (疑問に思っていること)を列挙しただけである。
『ダーウィンの危険な思想 — 生命の意味と進化』 (デネット 2000)、とくに 第10章をよんで、 グールドの議論がどのように論駁されているのかを確認せよ。
『進化論の何が問題か — ドーキンスとグルードの論争』 (垂水 雄二 2012) を再読して、 ドーキンスがグールドにどのように反論しているのかを確認せよ。 — デネットの議論は、たぶん(おぼろげな記憶だが)、 グールドに負けたくないので、 余計な衒学趣味・もってまわった議論がおおかったと思う。 たぶんドーキンスの方がストレートに議論を展開してくれていると思う。
この論文で説明ぬきで導入されている Bauplan の考え方は、 人類学の機能主義にとりいれることができるのではないか。
[16:00] さっそく 『進化論の何が問題か』 (垂水 雄二 2012) を読んでいる。