食事、コンピューター、インドネシアについてのひとり言。 ときどき人類学なども。
[2025-10-18] パングロス論文を読み終えて考える —もっと勉強しなくては
以下は、 「進化学界においては、 パングロス論文は間違ったものとされ、中間説は定説になっている」という 理解にもとづいて書きます。
グールドとルウォンティンが パングロス論文、 すなわち、 “The Spandrels of San Marco and the Panglossian Paradigm: A Critique of the Adaptationist Programme” (Gould \& Lewontin 1979) の 中で目指すのは、適応至上主義はまちがっており、 進化にはそれ以外の道もあるのだ、ということを示すである。 そこで出された様々な具体的な案はどれも面白いが、 それらはさておき、 野望は以上のとおりだ — すなわち、 適応で説明するのがいかんというのではなく、 それだけではないよ、という議論だ。
中間説とは、まさにそのような答えじゃないのだろうか?
分子レベルだと中間説(自然淘汰じゃないよ)はよくて、 表現型レベルだと中間説(自然淘汰じゃないよ)はよくない、というのだろうが、 その辺の議論が、ぼくにはよく分かっていない。