2023-02-21 [News] 出版社がダールの本を書き換えているが、それはオーウェル的な出来事じゃないんだ;商売上の知恵なのさ ---むずかしい問題だが・・・やっぱり改訂はよくないと思う

食事、コンピューター、インドネシアについてのひとり言。 ときどき人類学なども。

[2023-02-21] [The Guardian]
原題は: “It’s not Orwellian for publishers to edit Roald Dahl, just commercially savvy”

ダールの子供向けの本のいくつかが書きかえられる、 というニュースだ。 まったく知らなかったので、 いささかびっくりした。 今日の人権意識に照らして、 受け入れられないところを変えるんで、 オーウェルの描くような全体主義的国家による検閲じゃないんだよ、 という内容の記事である。 ぼくは、基本的には改訂には反対なのだが、もうすこし考えたい。 なお、 フランスでは書き換えはしないという — Publisher of Roald Dahl books in French has ‘no plans’ for rewrite

この記事の著者の態度は、 書き換えは(オーウェル的なものではなく) プラクティカルなもので、 「ダールの本でさえさすがに古くなった」部分を 書き換えるだけだ、と鷹揚である。 ダールの意地の悪さ(nastiness)こそが、 子供たちの大好きな点である。 [–そして、ぼくもそこが大好きだ–] その意地の悪さは損なわないようにする程度の 書き換えだという。 それならば、許されるだろうと記事の著者は主張する。

具体的な書き換え箇所は、この記事によれば、たとえば 次のとおりだ。 Mrs Twit は beastly だが、もう ugly でない。 チョコレート工場のぶよぶよの大食漢 Augustus Gloop は fat ではなく enormous となるのだそうだ。 どう書き換えするのか分からないが、 有名な、 かつらの下が禿げている魔女たち、という描写を読んで、 化学療法で毛をなくしてしまった母親をもつ子供たちはどう 考えるのだろう、という告発の文章もあった。

記事の著者が強調したいのは、 「子供の本だから」という点だろう。

閑話休題(さてさて)・・・

ロフティング (Hugh Lofting) の 『ドリトル先生』(Doctor Dolittle) シリーズがアメリカでは 読めなくなっていたが、 子供たちにとってそれは不幸なことだ・・・と思っていた。 Wikipediaを見ると、 1997年以降にアメリカで『ドリトル先生』シリーズの 書き換えがおこなわれているという。 (日本の場合は、書き換えには応じていないという。)

この『ドリトル先生』の事例をみると、 「書き換えもありかな」とも思う。 ただし、『ドリトル先生』の場合は「黒人差別」という、 ある程度「固い事実」としての差別が問題になっている。 [–ただし、Hugh Lofting に「悪意」はない。–] それならば「書き換えもしょうがないかな」とも思う。 それに対して、ダールの場合は「でぶ」とか「はげ」とかの 「柔らかい事実」としての差別だ。 二つは決定的に違うと思う。 (わたしの論文、 「不倫と肥満 — 責任の人類学」を参照のこと)

なお、蛇足だが、 ダールが反ユダヤ主義者だというのは、 はじめて知った。 しかし、 彼の本の中に反ユダヤ主義がしのびこんでいるわけではないので、 今回の「書き換え問題」脈絡では関係がない事実だ。

続報があった — 英作家ロアルド・ダール氏の作品、オリジナルのまま出版継続へ 修正に批判殺到で、 ということ。