2018-07-05 小三治を聞いた・・・よかった

食事、コンピューター、インドネシアについてのひとり言。 ときどき人類学なども。

[2018-07-05] 小三治を聞いた・・・よかった

『日本の話芸』の録画がたまっている。 まずは大好きな柳家小三治の出ている回を聞く。

出囃子で小三治がでてくる・・・ 動作が老いている、 とっても老いている。 びっくりする程だ。 こちらを向いた顔は・・・ほっとした・・・ ま・こんなもんかな。 あわてて Wikipedia を開いた。 今年で 79歳だという—歌丸とそれほど違わないんだ。

落語のほうは 延々とまくらの話をしていて、 内容も内容だが(自分の病気の話だった)、 「いつつっかえるのか」と心配になってしまうような 話し方だった。 このまま終わるのかと思ったら、 時間が半分以上過ぎた時点で突然 「粗忽長屋」にはいる。 話し方も突然しゃきっとして、 まったくよどみがない。 とても嬉しかった。

しばらくすると ぼくも噺にのめりこんだ。 いっぱい笑わせてもらった。

「さて・・・ここまで」と思ったら、 次の録画が「あたま山」だ。 これは 聞かなくっちゃいかん だろう[–わたしの2008年の論文 「コスモスからピュシスへ」参照–]。 演者は笑福亭鶴笑(かくしょう)だ。

噺が23分で終わってしまって (30分番組)「どうするのかな・・・」と 思ったら、 (どうやら鶴笑の特技らしい) パペット漫才になった。

めっちゃおもしろかった。

シュールな落ちもきちんとしてた。 あたらしい落ちが 「粗忽長屋」に重なってたのは 偶然かな。

ひさしぶりに落語を満喫した。