2021-06-10 江戸川乱歩を聞きながら ---異化効果はきらいだ

食事、コンピューター、インドネシアについてのひとり言。 ときどき人類学なども。

[2021-06-10] 江戸川乱歩を聞きながら —異化効果はきらいだ

この頃散歩の時に江戸川乱歩の小説の朗読を聞いている。 いったん事件を説明しておきながら、 そのあとにそれを引っくり返すという展開がおおい。 じつに詰まらん — 「作者が小説を作っているんだ」ということに 読者が気づいてしまうという効果があるのだ。 「そうか、結末なんて作者の気紛れで決定されるんだよな、 あ・つまらん」となってしまう。 一気に興が覚めてしまうのだ。 『かささぎ殺人事件』(Magpie Murders) が つまらないのも同じ効果によるものだった。

ダントーが、 『ありふれたものの変容:芸術の哲学』 (ダントー 2017) で、 芸術をもつことにより、 社会は現実を相対化できた、と述べている。 ぼくはこの指摘は正しく、そして大事な指摘だと思う。 さらに言えば、 現代芸術は、芸術それ自身を相対化する、と僕はおもう。 二番煎じはつまらないのだ。 ブレヒトの「異化」だ — ぼくにはブレヒトの意図がわからない。 芸術を相対化することはおもしろくないのだ。