2016-02-10 [News] 「机の下にはいって日食の危険な光から逃げろ」---1983年の政府の罪

食事、コンピューター、インドネシアについてのひとり言。 ときどき人類学なども。

[2016-02-10] [Kompas] 1983年はインドネシアで皆既日食が見えた年だ。 ぼくはちょうどその時、フローレス島 にいた。 日食の日が近づくにつれ、 村では様々な噂が飛びかった。 政府がいろいろなことを テレビを通じて広報しているというのだ。 最初は「日食のとき、太陽をみてはいけない」という 真っ当な警告だった。 そのうちに、 「日食の日は家に籠っていなければいけない」、 「壁にある隙間を埋めろ」、 「その光にあたると死んでしまう」、 「家の中でもとくに安全な机の下に避難しろ」などなど、 だんだんエスカレートしていった。

町で誰かが見たテレビの内容が人から人へと 伝わるにつれて、 だんだん面白い内容に変化していくのだな。 こんど町に出たら、テレビで実際にはどんなことが 言われたのかチェックしておかなければ— ぼくは、こんなことをのんびりと考えていたのだが、 日食が終わるとコロっと忘れていた。 そして、 この記事を読むまでその「噂」についても 忘れていた。

んで、なつかしく思いながら記事を 読んでみた。

なんとなんと! 噂じゃなかったそうだ。 まさに「光にあたると死ぬ」とか、 「机の下に隠れろ」と政府が警告していたという のだ—ちょっとびっくり。

日食当日のエンデの村の様子は ↓

エンデの村の人もこれらの警告を全面的に 信じていたわけではなかったが、 否定するだけの根拠ももたなかった。 日食の前日、 ぼくの居候している家に、 村の人びとが全員あつまってきて相談が 行なわれた。 ほんの少しの(ホントかもしれないという)疑いはあるけど、 基本的には誰も政府の広報を信じてはいなかったので、 なんだか「冗談に会議をしている」・・・ みたいな雰囲気で楽しい会議だった。 けっきょく、 「死ぬときはいっしょだぁ!」と楽しい議決が 行なわれ、 翌日をその家でみなで過ごすことが決まった。 そして、 各世帯から米と野菜をすこしづつ持ってくることに なったのだ。

日食の当日は、 村の全員がその家に集まり、 飲めや歌えの「世界終末パーティ」が行なわれた。 これまで「季節じゃないから」といって なかなか聞かせてもらえなかった農作業の歌を、 作業毎にフルで聞かせてもらえた。 恥ずかしがって小出しにしか聞いたことのない ウォイ(歌が入る伝説語り)も、 歌い手/話し手を変えながら次々と披露されていったの だ。