2015-11-14 「KH先生を偲ぶ会」に出る

食事、コンピューター、インドネシアについてのひとり言。 ときどき人類学なども。

[2015-11-14] 「KH先生を偲ぶ会」に出る

今年の6月に急逝された同僚のKH先生のための 学校で行なわれた「偲ぶ会」に参列した。 KHさんは、ぼくの数少ない友だちの一人だ。

時間が経っているので、 ご挨拶は軽妙な思い出話が多かった。 西原理恵子が(『ぼくんち』の) 「おじいちゃん」に語らせていたように、 「人は二度死ぬ」のだ— 「じっさいに死んだときと、 人々の記憶から消えたときと」だ。

葬式が死という出来事を、参列者の 記憶に刻み込む役割を果たしているのなら、 偲ぶ会は生きている(いた)彼を (ないしは彼女を)参列者の記憶から 消させないためのものだろう。

エンデの100日目に行なう儀礼も、 そんな意味があるのかなぁ。 ・・・とまた、即席心理学者になってしまった。