2016-06-02 金沢ひとりぼっち 1/4 --- 「ともだち何人できるかな?」

食事、コンピューター、インドネシアについてのひとり言。 ときどき人類学なども。

[2016-06-02] 金沢ひとりぼっち 1/4 — 「ともだち何人できるかな?」

きょうから金沢で開かれる哲学(認識論)の 国際カンファレンスにゲストスピーカーの一人として参加する。 北陸先端大のM本先生が一人で組織したものである。 カンファレンスそのものは明日から始まるのだが、 きょうは遠足 (excursion) の日だ。

とにかく知り合いが一人もいない状況なので、 早めに一人でも友達をつくっておきたい、と思い この遠足に参加した。

運のよいことに最初に出会った二人が ANU(オーストラリア国立大学[–ぼくの母校–]) 関係者だった。 それも(後からわかったのだが)哲学にもの申すために やってきた言語学者たちだった。 ANUの話などしている内に 他の参加者たちもやってくる。 哲学者ってのはオースティンみたいな 英国紳士風か、 さもなくばマルクスみたいに髭だらけかと 思ってたら、 ごく普通のひとたちだったので 一安心した。

バスで兼六園に向かう。 安心したのは大間違いだった・・・

兼六園を歩きながら 人類学的観点から見た認識論について 質問され、 現代の哲学的認識論について解説を受け、 人類学者がどう思うか質問され、 その答えが間違っていることを指摘され、 さらにぼくの発表の内容について 詳細に聞かれ、 ・・・ 「二日目に発表するからね」といって、 審問官から逃げてった。

公園のなかのお茶屋さんで休憩—抹茶を飲んだ。 いっしょにいたのはANUの言語学者と ドイツ人の哲学者だった。 ここで言語学的観点からの認識論と 現代風の哲学的認識論の大議論を拝聴することに なった。

夕方、遠足の帰路、 (金沢市からかなり離れたところにある) M本先生の大学に移動し、 今回のカンファレンスのなかのビッグネーム中の ビッグネーム、スティッチ教授の一般講演を聞く。

・・・哲学者の活力に圧倒される。 桂枝雀の落語もすごいエネルギーに満ちているというが、 スティッチ先生の講演もすごい。 聞いているだけで疲労困憊してしまった。

講演の後、 みなでおいしい料亭にいった。 そこで、 中国の儒教の中にでてくる 認識論について、 中国から来た先生の哲学的解説を聞いていた。 できれば、ゆっくりノドグロを味わっていた かったのだが・・・

彼らはとにもかくにも純粋なのだ。 じぶんの考えていることを伝えることに 一所懸命だ。

とは言え・・・疲れる

ホテルに着いて、 残り少ないエネルギーをつかって 風呂にはいり、 そのままベッドへ。 気を失なったようだ。