Dom Boaventura
[[!toc levels=2]] [[!tag Hist-Port]] [[!tag Africa]]
概観
1911年から1912年に サメ (Manufahi県) でポルトガルに対して反乱を 置こしたリウライ liurai である。
蜂起
ポルトガルの苛斂誅求に抗して、 サメの liurai ボンベントゥーラが 兵を起こしたのは1911年の末であった。
[[!img pict/Boaventura-04.jpg size=200x caption="写真"]]
これが Manufahi Revolt である。
アフリカの兵士
この時に多くのアフリカ人 (とりわけモザンビーク人) Africa が、 ポルトガル人によって兵士としてティモールに 連れてこられた。
英雄
ナショナリズムの形成の中で「英雄」(hero) の 果たす役割は大きい。 (中川の nakagawa-pahlawan参照。)
ポルトガル時代の英雄として 中川が知っているのは彼だけである。 人々の中で彼がどのように記憶されているのかが 興味深い。
インドネシアの状況と比較すれば、 すぐに、 次のような質問がうかぶ。
- 名前を建物、道につけているか?
- 「記念館」はあるか?
- 秘密の力(次項「レイナード」を参照、ただし具 体的にはどのようなものかは分からない。)
- 小学校や中学校の教科書ではどう扱われているのか
レイナードとボンベントゥーラ
オーストラリアの 新聞記事 によれば Alfredo Reinado は しばしばボンヴェントゥーラに譬えられて いたという。
レイナードはサメの山奥で、 秘密の儀礼を行ない、 ボンベントゥーラの神秘的な力を 手に入れたというのだ。
旅行記
[[!img pict/Boaventura-03.jpg size=300x caption="銅像"]]
1913年にサメを訪れたとき、 蜂起100年の祭が行なわれていた。
[[!img pict/Boaventura-01.jpg size=300x caption="100年祭のポスター"]] [[!img pict/Boaventura-02.jpg size=300x caption="100年祭のポスター Boaventura の写真"]]
文献
ティモールレステで買ったポルトガル語の文献。 これは高額であり、 ふつうの人は買えないだろう。
- 奥田さんへ。この本の spec を教えてください
Belo 神父が、5ドルの安っぽい 伝記(らしきもの)([@belo-manufahi] ) を執筆している。