ソロール島
概観
[[!img pict/Flores-1.jpg caption="Eastern part of Flores"]]
[@vatter-ata-kiwan-i] の地図: [[!img pict/vatter-larantuka.jpg size=360x caption="Larantuka and Solor"]]
歴史
しばしば Solot として言及される。
Nagarakeragama は "Solot" を マジャパヒト (Majapahit) の属国の一つとして挙 げている。
ティモール島には良港がないので、 ソロール島の北岸(あるいはアドナラ Adonara 島の南岸)が、 波が穏やかで、 交易者が本拠地とした。
ティモール島の白檀(sandalwood)、 あるいはマルク(香料諸島)からの 香料の交易において、 中間地点として栄えた。
マカッサール
Makassar が交易する。
ポルトガル
16世紀、ポルトガル人は ソロールを交易 (trade) の拠点とした。
- 1561 マラカ Malacca の司教が3人の宣教師 をソロールに派遣する
彼らはそこに砦 (Fort Henricus) をたてる
1590年代二人の宣教師が殺される
ラマケラ (Lamakera) が反乱を起こす
- Malacca からの軍がラマケラを破壊する
砦あらそい
- 1613 Apollonius Scotte (Scot) がソロールの ポルトガル人の砦を落とす。そこから Kupang へ行く
ポルトガル人たちはフローレス島の Larantuka へ逃げる。 そこからさらに(ティモール島の) Lifao まで逃げたものも いる
1616 ララントゥカ (Larantuka) のポルト ガル人がソロールからオランダ人を追い出し、 砦をとりもどす
1618 ソロールはふたたびオランダ人のものに
- 1618 オランダはララントゥカのポルトガル人 を攻撃するが失敗する
- 1625 ポルトガル人がソロールの砦を攻撃、失 敗する
- 1629 ポルトガル人がソロールの砦を攻撃、成 功する
- 1639 オランダが砦を攻撃し、ポルトガル人は 砦から逃げる
- 1646 オランダが砦を占拠する
参照
- [@suchtelen-21]
- [@barnes.r-87]