スアイ
概観
歴史
むかし
かつて(ポルトガル以前)Wehali に直属する、 かなりの力をもっている王国であったと言われる。 ([@nordholt-71] p.159) 1522年にピガフェッタ (Pigafetta) が バトゥグデの近くに寄港したときに、 四つの王国として挙げた中の一つ(もしかしたら 二つ)である。(p.160)
- Oibichi (Waiwiku)
- Suai
- Cabanaza
- Lichsana
ティモール島のコンタクト前の 王国については Wehali の項を見よ。
現代
1999年の referendum の際の chaos で、 1999-09-06 に教会での虐殺 ([[!wikipedia Suai_Church_Massacre]]) の場所でもある。1
福武さん・渡辺さんの調査地でもある。
- なお、Tetun の権威でもある Klinken は referendum の時、 スアイで監査官 (?) (electoral officer)を 勤めた。 [@williams-suai] は、その体験記である。 彼女は投票が終わるとスアイを離れている。 名前は違うが、同一人物だと思う。 DIT のページ を見よ。↩