トパス(黒いポルトガル人)
[[!tag Hist-Port]] [[!tag Stranger]]
- Topass
- Black Portuguese
- Kase Metan
- Sobe Kase ("The Foreign Hats")
概観
言語
- Portuguese はステータスを示す言語
- Malay は trade の言語 (lingua franca)
- たいていのトパスは Flores かティモールの 現地語を一つしゃべっていた
(fox-tracing p. 7--8)
歴史
- 17世紀初頭 Flores、Solor で誕生
- 17世紀、18世紀、ティモールで一大勢力となる
- 1749年のVOC に敗北して以来勢力が衰える
- 18世紀末には Oecusse Ambenu に限定される
誕生
boxer-1947-topasses 「ソロール島 Solor の キリスト教徒を(ムスリムの攻撃から)まもるために たてられた要塞 1 のまわりには 現地の改宗者、ポルトガルの兵士や、 マカオ Macao からの白檀 sandalwood の交易者が 住んでいた。2 彼らは現地の女性と結婚し子孫を残した。 これがトパスの起源だ。」
ティモール島に良港がなかったためらしい。【SN】 Lifao には頻繁に行き来していたようだ。
トパスはポルトガルと現地女性だけに 限られるわけではない。 さまざまな出自のトパスがいた。 [@hagerdal-colonial]
交易の独占
1613年 Solor の砦が落ちたとき、 多くのポルトガル人、とりわけ トパスたちが Larantuka へ、 そして Lifao へと逃げた。 その時から200年間にわたり トパスが trade を独占することになる。
他の勢力との関係
トパスたちは、Goa の総督(副王 Viceroy)のもとにあった ポルトガル人とも、 また VOC のオランダ人たちとも、 とくに友好関係があったわけではない。 とりわけオランダ人は trade における 敵であった。
かれらは、副王の使者をしばしば拒絶したが、 ポルトガルの宣教師たちは歓迎した。 Church Catholic
二大家族
当時トパスには 二つの大きな勢力があった。 「デ・ホルネイ」家と 「ダ・コスタ」家とである。
18世紀中葉には2つの家は 通婚を通じて、 協力しあうようになる。
hagerdal-lords of the land p. 347
- See also Battle of Penfui
没落
1749年の Battle of Penfui において Kupang の VOCに敗北をきっしてから、 トパスの勢力は衰退していく。
18世紀末にはトパスの勢力は Oecusse-Ambeno (Ambenu) にのみ 限定されることになった。 de Hornay と da Costa は、 もはや植民地における大勢力ではなく、 地方の小王国の王にすぎなくなってしまった。 [@hagerdal-colonial]
文献
- [@boxer-1947-topasses]
- [@middelkoop-1968-kase-metan]
- [@hagerdal-colonial]