インタビュー資料① インタビュイー:Maristas学長 Brother Fons van Rooij fims(Director- ICFP) 連絡先 Fons.vanrooij@marists.org.au インタビュアー:中川敏先生、上田達先生、奥田若菜 日時:9月2日15時半から17時 場所:Maristas(Marist)Instituto Católica Formação dos Professores Programa de Bacharelato Managed by marist Brothers, province of Australia, for the Diocese of Baucau
2000年にTLに来た。この大学では教員養成教育を行っている。政府は99年末に公用語をポルトガル語とした。それを決めたのは、インドネシア時代にポルトガルにいた人たちだ。他はみな、インドネシア語と話す。
インドネシア時代というのは、話せない人は銃で撃たれるような状況。みな、すぐに覚えた。インドネシアは共通語としてインドネシア語を使った。TLには多くの言語があり、たとえばMakasaeとFatalukuは全く違う。インドネシア人が理解できないので、インドネシア語を使った。99年に国連が来て英語を使った。このように多言語状況になった。今でもここらへんのスーパーで値段を聞けばインドネシア語で答える。テトゥン語よりも数字が使いやすいものだからだ。そのため数字は早くからインドネシア語が採用された。
TLの人々には反抗の血が流れている。政府が決めたとしてもいつも民は反抗する。簡単にはなびかない。ポルトガル語と政府が決めても簡単にはそうならない。自己申告で学生が「ポルトガル語ができる」と書いていても、やってみると全然だったりする。政府の決定と現実は違うし、政府の話と現実は違う。政府は国民がポルトガル語を話せるようになっているというが、そんなことはない。私たちは現実を見るが、政府はそうではない。
現実を見たから、我々の学校は成功している。インドネシア語を使って教えていた先生が急にポルトガル語というのは無理だ。今でも本学の1年生と2年生は週に5時間、3年生は週に7時間、ポルトガル語の授業をしている。それがないとポルトガル語ができるようにはならない。ニュージーランドやドイツのMigeiroから支援を受けている。隣の新校舎は、イタリア、ドイツ、ダッチ、アイスランドからの支援によるもの。
本学では、1年目はテトゥン語で教育していた(オーストラリア人の先生が英語で話し)、通訳がテトゥン語)。うまくいかなかった。テトゥン語を話さない学生もいたのだ。教員がポルトガル語で話すと学生は隣の人とこそこそ話をする。「あの先生、何語使ってるの?」。テトゥン語で話しても同じだった。ファタルクで話したらわかったりした。テトゥン語が分からない学生のために、6週間の集中講義をやった。それですぐにわかるようになった。テトゥンというのは話し言葉・オーラルが中心の言語だ。彼らも書き慣れていない。まずは、テトゥン語で書くことからしっかり教える必要があった。これから20年以上は言語による問題は起こり続けるだろう。
この国では賄賂や汚職は日常的実践だった。本学でも私のところに来て、お金を払うから子どもを…というのがあった。私は断った。「子どもの名前は今言うな。もし言ったら絶対のその子は入学させない」と。彼らは私をおかしい人と思っていた。他の大学ではそういうことがある。UNTLに行ったある学生は、講師がパワハラすると言っていた。講師を恐れていた。彼は「自分はWrong Familyなのだ」という。力をもった親族がいない、ということだ。本学では汚職やパワハラがない。正しく正直にすることをここで学ぶ。
政府はテトゥン語をNacional言語、ポル語をOficial言語とした。政府はこれまで、テトゥン語の価値をさげようとしてきた。文化と言語はつながっているのだ。テトゥン語の価値を下げることは文化へも影響する。ポルトガル語で教えろということ自体がテトゥンの価値を落とすのだ。いまは、テレビではインドネシア語、教室ではポルトガル語、家では母語という状態。共通語としてのテトゥン語の地位が低い。
よいゲリラ・よいヒーローがよい大臣になるわけではない。しかしそういう人が大臣になっている。Oficialをポルトガル語にするとペンション(養育費)が支払われる。ユーロで、継続的に。外国から支援と訪問がある。そういうお金のために政府はポルトガル語をえらんだのだ。DiliからManatutuのあいだは政治家が土地を購入している。
TL人は他のアジアの国と同じように、本音を隠す。政治家がきたら笑顔で応じるが、いなくなれば本心を出す。
政府のやっていること、言っていることはすべてはレトリックだ。言語をコントロールする者は国家をコントロールする。彼らはポルトガル語を用いて自分たち一部だけが利益を得ようとしている。これは単なる言語選択ではなく、権力の選択なのだ。ポルトガル語をちゃんと話せる人だけが「ありがとう」といって権力を手に入れていく。大臣自身がTLの将来に問題をもたらしている。レトリックの上に積み上げると、いつかは倒れる。
そのほかの人たちはちゃんとポルトガル語が分からない。わからない状態では周囲の人が手を挙げれば自分も手を挙げることになる。他人の意見に従ってしまう。教会も政府を批判しなかった。政府がお金を渡したのだ。たとえば教会がペンキを塗りなおしたり。政府がお金を渡して黙らせたのだ。他の家屋はみすぼらしくあるのに(教会だけがきれいになる)。
TLはポルトガルに支配され、インドネシアに支配され、UNと世銀に支配されている。実際はなにも変わっていない。
私たちがやっていることは二つある。Small Pictureでは、教員の質の向上。教育は経済の基盤だからだ。オーストラリアでも1960年代、暗記教育だった。ただ覚えるだけ、教員が威圧的に覚えさせた。TLのこの状態を変えたい。クリエイティブ、批判的思想、教員と学生が兄弟のようにリスペクトしあう、恐れなく。それが我々のやり方だ。Bigger Pictureでは、貧しくて学校に行けなき人に教育を与えること。50%に奨学金を出している。特に女性は中退が多かった。男兄弟に教育が必要になれば、姉妹は教育をストップしたりする。我々は女性に支援する。女性は職を得ると、男性よりも家族を支えようとする。女性の成功は大切だ。自尊心の経験や、挑戦の経験というのはコミュニティによい作用をもたらす。少ない数の人々への教育だが、より多くの人に作用するようにしたい。
現在、160人の学生がいる。大学に必要なものはFisical Infraと自信をもった教員。初めはそのどちらもなかった。数人のTL人にオーストラリアのダーウィンでBAをとらせ、彼らが戻ってチューターになった。その後、半数ずつMAをとり、フルタイムで雇った。半数が教え、半数はMAをする。オーストラリアからのチューターが支えていた。現在の教員数は6人。7人がチューターで、もうすぐ4人がMAを終える。ほか3人が2016年に終える。全員がTL人で修士号を持っていることになる。
私たちはSet Upのためにここに来たのだ。TL人が自分たちでできるようになれば、オーストラリアに帰る。
私自身、自分が特権階級だとわかっている。教育を受けているし、職がある。オーストラリアにいたとき、その生活が当たり前だと思っていた。しかし世界的にはみんながその生活をするのは無理。アブノーマルな状態なのだ。教育をしているが、私のフォーカスはPeopleにある。
TL人には経験からくるトラウマがある。また、家族がバラバラに戦ったことがあり、その過去を抱えて互いが何をしたか知っている状態で一緒に住むことになっている。それは非常に困難なこと。時には、争っている二人が、なんで争っているか、わからなかったりもする。若い世代が前の世代からの争いを受け継いでしまっている。
もう一つの問題は家庭内暴力だ。女性の社会的地位が低い。女性が大荷物を持ち、子供を連れて歩いていて、夫はその横をプラプラ何もせず歩いていたりする。決して手伝わない。婚資で家族は利を得る。それにより、子供もCommodityのようになる。夫婦も別れにくい。いまは少しずつ状況がかわり、男女二人のお金は男女二人が使えるようになることも。
大事なのは東ティモールの言語の問題は、「言語能力の問題」ではない。彼らは容易に言語を覚えられる。能力が低いわけではない。しかし、「言語の拒否」の問題はある。