東ティモールにおける共同体と国民国家---周辺からの見解

独立以前

  • ポルトガルの放置
  • インドネシアの積極的な囲い込み
  • liurai は政治機構からはずされた
  • UNTAET は、人々にとって新しい考え方 democracy, gender equality, social equality な どを植えつけた

ティモール・レステ共和国 (p.14)

インドネシア時代、UN 時代と 中央と地方 (_suku_s)が密接に結びついていたのに対し、 独立後は、不思議なことに、 離れている。 2つの理由がある、と思える。

  1. 文化復興 インドネシア時代に破壊された uma lurik が作り直されている
  2. 中央の政治家たちが、 首都と地方の共同体との間の結びつきに 無関心である。 その一つの現れがポルトガル語と テトゥン語を国家の言葉として 決定だ
    • ポルトガルはディリ以外では喋られていない
    • テトゥン語はたしかに普及しているが、 地方では、みな地方語を喋ることがおおい。 テトゥン語を喋れるメンバーが一人、ふたりしか いない共同体も存在する。

かくして、[地方の]ひとびとは 首都を通じてやってくる新しい価値より、 自分らの共同体の価値をおもんじている。

中央政府、とりわけそこで働く経済学者などには、 大きな建物 uma lurik を建てるのは無駄に思える。 中央政府以上に、国際的機関はこれらの文化に 敵対的である。

Suku (村)の 政治構造が二重になる、という結果を生む。 Suku のチーフは伝統とは無関係に 選挙で選ばれる。 ところがもういっぽうで Liurai の力も強くなっているのだ。

この対立は、 adat とは無縁の政治イディオムの導入によって さらに強くなる。

伝統的な村 suku の評議会は男性の 年長者からのみなっていた。 新しい政治機構は 西洋の考え方にもとづいたカテゴリーで 構成される。 この新しい考え方は なかなか受け入れられなかった。

国家と国民 (State and nation)

こんな風に中央と周辺が 分離している例はめずらしいわけではない。

国際機関はもっとローカルに目をむけるべきだ。 うんぬんかんぬん。 具体的には、 たとえばひじょうに保守的な suku においては、 政府はもっと liurai の言うことに耳を かたむけるべきだろう。 うんぬんかんぬん blah blah blah。