Atsabe Perceptions of Kolimau 2000
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- An Anthropological Study of Atsabe perceptions of Kolimau 2000: A new East Timorese religious cult or internal security problem?
- by Andrea K. Molnar
- Anthropos
Abstract
Foreign and East Timor newsprint media copiously reported on Kolimau 2000 group's violent activities and represented it as a new form of militia or religious cult that is a threat to national security. The article highlights the erroneousness of these assessments and demonstrates that the situation is highly complex, at least in Atsabe region. Through an anthropological analysis of the dynamics of the local power relations, social organization, and the local historical processes that underlie these, the article shows that local economic and power struggle are as much at the root of the problem as are issues of policing.
keyword
East Timor, Kolimau 2000, religious cult, social organization, power relations, national security
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Introduction
(p. 365) Ermera district で活躍する Kolimau 2000 (Colimau 2000)について分析する。 Kolimau 2000 は、 これまでの民兵 (militia) の一種として あるいは(伝統的な治療者が指導する)宗教的カルト集団として、 国家の安全の脅かす集団として描かれてきた。 とりわけ Bobonaroと Ermera での2003年の 出来事以来、 その傾向はつよまった。
この集団の目的などは知られていない。
二人の議員が Kolimau 2000 と 直接に接触した。 三つの Kolimau 集団があることがわかった。
この論文は(2002年の著者の調査に基づいて) エルメラのアチャベの Kolimau 2000 について 描く。
2002年の夏から弓矢や槍をつかった事件が 頻発した。 2003年の1月には銃で殺される人が出る に至り、 軍が出動することになった。 逮捕者がでた (彼らは現地の警察に引き渡された)。
Atsabe Reactions the summer of 2002
Atsabe Reactions to Kolimau 2000 during the summer of 2002
Perceptions of the Atsabe Community
Perceptions of the Atsabe Community about the abilities of the police to provide security
アチャベ (Atsabe) ではいくつかかの犯罪が まとめて Kolimau 2000 に帰せられているようで ある。
(p. 367)
背景として1999年(【SN】see referendum)以降の 不穏な状況を述べておこう。 人びとは民兵におびえ、 警察には信用を置いていなかった。
1999年、 インドネシアに支えられた民兵は アチャベで人びとを恐怖におとしていれていた。 モルナーの調査(2002年)の時に、 人びとはそのトラウマを いろいろな形でかたってくれた。
2002年の時点で 彼らが帰ってくるという噂が 絶えなかった。
UN 警察 (UNPOL)の変化も重要な事実だ。 2002年の独立以降、 UNPOL は顧問的役割となった。 またオーストラリア人からなる UNPOL から フィジー人からなる UNPOL へと変化するさいに、 UNPOL がいない時期があった。 人びとは現地の警察の能力を信じていなかった。 → 人びとは不安の中にいた。
現地の警察は若く、経験を欠く。 女性までもいる。 設備もひどかった。 信じられない。 彼らは、現地の人々のシンセキであった。
言葉の問題:UNPOL は 英語しか話さない。
(p. 369)
Incidents attributed to Kolimau 2000
Variety of Incidents That Were Blamed Upon Kolimau 2000 during the Summer of 2002
2002年6月に Obulo の市場で、 ローカルの人と強奪者 (extortionists) の 間で騒乱がおきた。 民兵が帰ってきたという噂があった。 また Kolimau 2000 についての 噂があった。 Kolimau 2000 は教会の権威をみとめず、 力によって人々をそのカルト集団へと リクルートしているというのだ。 Kolimau 2000 の売っている品を 買わなかったが故に殺された人がいるという 噂もあった。 その他、いろんな噂があった。 どれもほんとうではなかった。
2002年の夏に Kolimau 2000 に帰せられた 事件は四つに分類できる:
- 個人的な怨恨の決着:侮辱だとか婚資に関する もの
- インドネシア領のティモールからの帰還者に 関するもの:
- (p. 370) 軍や警察にはいれなかった (disenfranchised メンバーとしての身分を 剥奪された?))もと FALINTIL(FRETILIN の軍部)のメン バーの活動。彼らは自由の闘士であり、年金 や、残された家族の手当を約束されたが、 けっきょく仕事のない、不満分子としてのこっ た。彼らはしばしば僻地の市場で騒動を起こ した。これらの出来事がしばしば Kolimau 2000 のものとされた。トラブルメーカーは、 もと FALANTIL であるが、アチャベそしてエ ルメラの外の人間であった。騒動はしばしば アチャベの FALANTIL と余所者の FALANTIl の間で起きた。
- 深夜の家畜の強奪。噂は一致して、Koilmau 2000 が教会の権威を認めないことを語る。彼 らは K2000 への参加を強制する。
Local Conditions and Restructuring of Power Relations
Kolimau 2000: Linkages to Local Conditions and the Restructuring of Power Relations
アチャベのさまざまな犯罪的で暴力的な出来事が すべて Kolimau 2000 に帰せられるようになった。
2003年の事件の報道にもそれがみられる。
Kolimau 2000 の目的、 組織についてまったく知られていないのだ。
この組織は national なレベルに 達していない。 さまざまな集団からのメンバーを 剥奪された者などからなっている。
少なくともアチャベにおいては、 K2000 は、 きわめてローカルな権力闘争の脈絡のなかで 意味がある。
宗教的集団としての K2000
(p. 371)
アチャベの人びとは K2000 を 教会の権威をみとめない 新しい宗教として把握している。 アチャベの人びとにとっては、 K2000 は権威、 そして権威を正当化する lulik (sacred) な モノを中心に語られる。 聖なるモノはディリ (Dili city) から やってきたと言われる。 それゆえ、 K2000 を「宗教的な民兵」と呼ぶ 人もいる。
伝統的なリーダーたちは K2000 を: 自由の闘士たちと (2) 自由の闘士であり 伝統的な力をもっている人(治療師その他)の 集まりと考えている。 彼らは lulik をもつ儀礼を行なう。 lulik は "magic" という意味だけを もつわけではない。 中心となる場所、人と関係する 霊的な力というのがよりよい訳だろう。 K2000 の lulik は、 教会との関連、そして伝統の関連で 強いものとなる。
歴史上の宗教運動
歴史的な宗教とむすびついた 運動 (movements) はいくつかあった。
J. B. Duarte [@duarte-fenomeno] は三つの出来事を挙げている。
- Hoho-Ulu movements (19世紀末)
- Rabuta movements in Atauro (第二次世界大戦の初期から 日本の占領期)
- 1954年後半の CPCC (Center for the Promotion of Christian Civilization) 運動
Jill Jolliffe ([@jolliffe-one_year])は キリスト教と土着のアニミズムのあわさった 運動の近年の盛り上がり1 について述べている。2
書いてあって、 いつ・どこでかは分からない。
ポルトガル語文献と新聞記事だ。 Jollife は新聞記事らしい。 記載された URL は空振り。
権力・権威の構造
ケマック (Kemak) では (平和時の力である)儀礼的指導者たちが、 戦時中は、 戦士達に権力を移譲する。 とりわけインドネシア支配下では、 戦士たちの権力はおおきく増したと 述べるひともいる。
通常は戦争状況が終われば、 スムーズに権力を返還される。 しかし、インドネシア支配が 長くつづいたので、 K2000 の戦士たちは権力を返そうと しなくなった(と述べるインフォーマントもいる)。 彼らは権力の維持を lulik を通じてのみならず、 民兵を通じて(暴力で)要求した。
現在は独立の時期なので (平和の時期なので)、 権力は儀礼的な指導者、3 政府、教会に戻るべきである。
「伝統指導者」「治療師」「戦士」などの 現地語は、一貫して、でてこない。 Molnar の他の論文で調べるべきなのだろう。
アチャベ王国の歴史
アチャベ王国 (Atsabe) の権力の移行の歴史が、 K2000 にさらなる光をあてることになろう。
アチャベ王国とhierarchicalな関係にあった 二つの王国があった:
- レミア (Lemia)
- ボボエ (Boboe)
アチャベ王国の発祥の地はレミアのダルラウ山 Dar Lau である。
レミアは征服された。 Tiar Lelo はレミアから独立した王国を つくり、 制服と婚姻によって勢力を広げた。
ほとんどの歴史的文書が現在のアチャベを 三つの王国として描く:
- Atsabe
- Boboe
- Obulo
そして Tiar Lelo は別の (separate) 王国として 描かれる。
- Sherlock 1983 [@sherlock-east_timor]
- Felgas 1956 [@felgas-timor]
現地の人のバージョンは次のとおり:
- アチャベ王国がすべてを包摂する
- Tiar Lelo がその中心にある
- Tiar Lelo はその中に以下の二つの王国を包摂する
- Boboe
- Obulo
プレシデンス(先行順)がある。 すなわち次の順番である:
- Tiar Lelo (Atsabe) -- Obulo -- Boboe
かつてのアチャベ王国の王は、 Tiar Lelo の founding house からの血筋である。
四つの王国内で争いがあったとき [^confilcts] Boboe はつねに Lemia と組み、 Tiar Lelo に対抗する。 [【SN】なぜなら(?)] Tiar Lelo こそが Lemia からの王権の簒奪者であり、 Boboe はつねに Tiar Lelo と緊張関係にある。
それとも、上述の「制服」の話をしているのか、 よく分からない。
現在 Lemia 王国は二つに分裂している:
- Lemia Leten 4 --- この名前の村となっている
- Lemia Craic --- 現在では Hatolia sub-distric に属している。
歴史と K2000
Lemia と Boboe が、 アチャベ (Atsabe) の Kolimau 2000 の根拠地 (home) だとされている。
K2000 の攻撃はしばしば Tiar Lelo とその仲間たちに対して おこなわれている。
民兵の指導者たちは、 アチャベ王国に攻撃をしかけてきた地域の 出身者だということも付け加えておく。
歴史と経済
経済的にとくな位置 (役人、教員その他)には いつも Tiar Lelo の仲間たち、 かつてのアチャベの王国と関係する 人々がいた。
生業は焼畑である。 コーヒー (coffee)。 灌漑は一部の地域でしか可能でない。 貧しい地域である。
というわけで
K2000 の運動は、 アチャベの王家および その近くに位置することから 経済的に利益を得ている人々への 抵抗から生まれてきたと 見るのが最適である。5
経済的利益が自動的にはいってくるわけではない。 王家およびその関連の人びとがいい地位につい ているのは、けっして賄賂や汚職によるもので はない。スキルによるんだ。 でもそのスキルはけっきょく教育により、 教育にめぐまれるのは、歴史のなかで彼らに なっているのだ。 王家およびその近親者はいっしょうけんめい やってきたんだ。 うんぬんかんぬんという記述はあるが、 無視しよう。
K2000 は決してアチャベの中で 人気があるわけではない。 なぜなら彼らはキリスト教徒であるからだ。 K2000 の宗教的側面は キリスト教をないがしろにしていると 考えられている。
Kolimau=Former Militia ?
2003年の1月の(アチャベでの)出来事で、 ボボナロ (Bobonaro)、アタンブア (Atambua) の民兵との 繋がりが強調された。
(p. 378)
パズル:
- 民兵はインドネシア統合派
- K2000 は独立派
この対立する二つが、 2003年1月の事件以降、 アチャベにおいて同一視された。
おそらく、 秘密 (clandestine) 活動において いっしょくたにされたのだろう。 とにかく K2000 と民兵を いっしょにするのは間違っている。 (もちろん、個々人をみていけば、 民兵とつながりがあるのはいるかもしれないが。)
民兵や犯罪者が K2000 の名前を 故意に使ったとも考えられる。
K2000 も暴力をつかって似たようなことを してきた。
かえってきた民兵
アタンブア (Atambua) から帰ってきた民兵は、 いくとこがないので、 村に帰る。 そこで奴隷のように暮すことになる。 つねに監視のもとにある。 監視はしばしばかつての自由の闘士たちの 役目となる。 彼らはかつての力をとりもどしたがっている。
K2000 がこのような者たちを 利用した[ことも考えられる(?)]。
アタンブアとの繋がり
アチャベ (Atsabe) の村人とアタンブア (Atambua) との 繋がりは強固である。 多くの村人がアタンブアにシンセキがいる。
もともとアチャベの人達は、 何世紀もの間、 国境を越えて、アタンブアと行き来してきた。 ポルトガル時代に、 事件があると国境を越えてアタンブアに逃げこみ、 落ち着くと村に戻る、ということを してきたのだ。
(p. 375)
だから親族関係があるからといって、 それが民兵とのものだとは限らない。
もちろん、 国境のむこうの民兵が アチャベの状況にかかわっているという 可能性は捨てきれない。
なぜ民兵とされたか
K2000 がなぜ民兵とされたかについて、 モルナーは二つばかり可能な説明をあげている。
2003年1月、 東ティモールの軍が Lemia Craic を一斉検挙したとき、 誰が民兵かを指摘したのは、 住民たちだったのだ。
【あと省略】
結論
アチャベ Atsabe の人達は、 Koilmau 2000 (Colimau 2000) には強く反対している。
多くの人が K2000 と K2000 をかたる犯罪者を 区別はしていない。
真の原因
(p. 377)
貧困、失業、 そして権力構造こそが K2000 のでてきた真の原因である。
【あと省略】