Water Relations
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palmer-water relations
サマリー
Baucau city の水は 町から 20 kmほど離れた上流の Drasula 村の近くの Wai Lia Bere ("Great Wai Lia" in Makasai (Makassae)) あるいは Wai Lia Oli (in Waima'a) から取られている。
Drasula 村には Wai Lia Oli を管理する 儀礼職能者である been na'in ("owners/custordians of water") がいる。 彼らは水を自由にできる知識をもっていると、人びとは信じている。 バウカウに水がでないとき、 町の人びとは been na'in が操作していると噂する。 Been Na'in 自身はそれを否定する。 むしろ、 Wai Lia Oli の「自然な」反応だというのだ。 すなわち、下流の人々がするべき贈与を行なわなかったから、 水が少なくなると言うのである。 このとき水を少なくするのは、 ほんとうの been na'in (すなわち精霊)である。
この贈与を説明するために、 Palmer はある神話を引用する。
Wai Lio Bere は Drasula 村の近くに fuu (trunk, origin) 1 がある。 Drasula村の兄弟がいた。 弟が水に流され、下流に行く。 そこで(Bahu村の)姉妹にあう。 かれはその妹と結婚する。 三人は男の兄を探す旅にでかける。
(「幹」)であろう。 see metaphor origin
兄が見つかる。 兄は言う。 弟が戻ってきたので、 fuu に 水のための伝統的な家をつくらなければならない。 そこで水の儀礼をするのだ。 その儀礼の供犠のために Bahu、 Caibada、Buruma、Tirilolo (バウカウの町の 4つの村)の 人たちは貢献をしなければいけないと兄は言う。 かくして、村の人たちが供犠を忘れれば、 水が少なくなるのだ。
バウカウの水は、 このように「儀礼的な」、「文化的な」 (Palmer 自身の言葉はなんだっけかな?[SN]) 意味を持っているのだ。 とりわけ、この神話にもでてくる WG-WT (umane vs fetosaun) 関係 とキョウダイ (elder sibling vs younger sibling) 関係 (maun vs alin) (elder younger) 関係が重要なのだ、2 だから、開発にはこのような 文化的 な 要素を考慮にいれるべきだ、 -- おおよそ、以上のような筋である。
コメント
【SN】 この神話だと源が WT であり、 下流が WG である。 WT が WG に贈与を求める、というのは、 東インドネシアの脈絡では考えられない。
【SN】 キョウダイ関係 あるいは precedence については、 兄弟と姉妹が出てくる、という以外には、 重要性は見えない。
【SN】 cf: フローレス島 Flores の マンガライ (Manggarai) (水田農耕民)における 水源での儀礼とカトリシズムとの関係を描いた C. Allerton の "Static crosses and working spirits" (Anthropological Forum 12 (3) 2009 ) との 関連でなにか言えるかしらん。
【SN】 ポルトガル時代の推移をまとめておく:
1920年代、水田は店や市場そして道路に かわっていった。 戦後、 動物を殺すごとに払わなければいけない 税金が、 供犠の障害となった。 1960年代に Wai Lai 付近に a water pumping station が 建てられた。 ある中国系のティモール人が地下水を動力に利用しようとしたが、 失敗した。 そしてバウカウの町に水がでなくなり、 町の人びとは bee na'in の
- エンデ語の pu'u 、Malay 語の "pokok"↩
- Palmer は使っていないが precedence の要素と言えよう。↩