East Timorese independence referendum, 1999
[[!toc Hist-Ind]] [[!tag chaos]]
1999-08-30 に「国民投票」が 行なわれた。 提案は「インドネシアの中に (自治権をもって)留まるか」というものであった。
結果
結果は(UN によれば)次の通りであった。
[[!table data=""" Choice | Votes| Percent Accept | 94,388 |21.50 Reject | 344,580 | 78.50 Invalid/blank votes | 0 Total | 438,968 | 100 Registered voters/turnout | 451,792| 98.60 """ ]]
Source: UN, The Guardian
混乱
ディリ Dili city の混乱については [@achmad-refugees] に詳しい。 スアイ Suai で教会に逃げこんだ 200人の村人が 殺されたという。 合計 14000 人の民間人の死者が出た。
その後の混乱のなか、 人口の 3/4 が故郷を離れる/多くの人は山へ逃れるが 国境を越えて西ティモールに逃げた者も多いという インドネシア領 West Timor の Atambua に 逃れたものは 250,000人と言われている。1
教育施設 Education の95%が破壊されたと報告 されている。 [@beck-context]
国連軍(おもにオーストラリア軍からなる)の 到着は遅れた。
インドネシア政府は 1999-10-19 に条件を受け入れた。
暫定統治
この後、 UNTAET (United Nations Transitional Administration in East Timor) が 2002-05 の独立まで、 暫定統治をすることになる。
- 2002年の時点で 60,000 人が残っているという。↩