奴隷貿易
ティモールの奴隷貿易
17世紀半ば Kupang を 本拠地としたオランダ人(VOC)は 奴隷貿易をした。
年代記
- 1875 ポルトガル政府が奴隷貿易を禁止1
[@mcwilliam-traditions] の p.1133 に引用されている年号だ。しかし、その論文の 引用文献に "Kammen 2003" はない。
ニーダム
奴隷貿易については @needham-slaveが詳しい。2 1830年くらいのスンバ島では エンデ人はしたい放題をしていたという。 そして他所からスンバ島に来る者 (とりわけ彼らの商売 trade をじゃまする者)を 殺した。
スンバ島での奴隷貿易に インドネシア生まれのアラブ人 Arab が 関わっている。 (@needham-slave:24--25) Sharif Abdulrachman である。 かれは resident とつるんで 奴隷貿易を牛耳ることになる。
残る、奴隷商人への恐怖である、と 怒りにもえるニーダムは語る。 奴隷狩りに来るのはエンデ人 Ende である。 なお、オランダ植民地政府が19世紀半ばに ひっしになってエンデの奴隷貿易を禁止するが、 それは人道的な動機ではなく、 経済的な動機だった。 要するに奴隷貿易はとても儲かるのだ。 奴隷の値段については 参照せよ。
リード
Southeast Asia in the Age of Commerce 1450--1680 by Anthony Reid (Yale University Press, 1988)
東インドネシアにおける奴隷制度は、
- インドネシア全体のイスラム化
- 東南アジアにおけるヨーロッパの商業主義、植民地主義
によってはじまった。
ジャワ (Java) のイスラム化により、 とりわけ Shari'a law の普及により、 奴隷化 (enslavement) が禁止された。 主たるムスリム都市は、 イスラムのフロンティアを越えたところに 奴隷をもとめた。 スールー (Sulu)、ブトン (Buton)、ティドレ (Tidore) などが東インドネシアで奴隷を購入し、 大きな利益を得るようになった。 (Reid 1988: 133)
[S]ince slave export (is) almost invariably linked with internal disunity, the stateless societies and micro-states of eastern Indonesia, New Guinea, Bali and Nias were consistently among the exporters. (Reid 1988: 133)
17世紀、18世紀の オランダによる奴隷購入はティモールを含んでいた。 VOC のもと、 キサール島 Kisar は、 ティモールからバンダ (Banda)へ奴隷を 送る中継地点であったという。